貧乏観察日誌

世の中は貧乏に厳しいが、それでも足掻いて少しでも心でも生活でも何かしら豊かになろうと試行錯誤するブログ。

小さな幸せを叶える方法

思いつきを叶えられるほど、幸せなことはない。

生きていると、色々なことを思いつきます。
それはそれは下らないことから世界を変えてしまうようなことまで。現実的な可否はともかく、いろんな事を思いつきますよね。
そんな思いつきを形にできるのが、なにか研究者的な偉人だったりだとか、もっと膨らませて具体性を持たせて、何らかの発表物にしてしまう偉人だったり…。

そして我々のような一般人において、最も身近で最も多い思いつきは「あれ食べたい」、だと信じてやみません。


飲みたいも含んでもいいかな。
仕事で定時まであと少し。おそらくこのままいけば定時で帰れる。そうなればお酒好きな人は思うんじゃないですかね、「ビール飲みたい」と。
そういう場面でなくとも、テレビで餃子特集が組まれてたら思うじゃないですか。「あー、餃子食べたい」って。

でも人間ってその欲望をすぐに満たせることって本当に少ない。
もはや目の前に夕飯が並べられる一瞬手前まで「餃子食べたい」って思ってることも少なく無いですからね。
今は一人暮らしですから、食事のメニューは自分で決められます。ただやっぱり貧乏って足を引っ張っていて、自炊だとしてもどうしても我慢しないといけない時が往々にしてあるのです。
特に自分の中で潰しの利かない食材を必要とするメニューの時ですよ。そして個人的な筆頭食材が白菜。
白菜って葉物のなかで一番潰しが利かないと思っていて、鍋物以外にどう使えばいいのか自分の中で全く消化できないんですよ。
結局余ったのは大抵の場合で味噌汁か湯がいてポン酢かなんかで食べるとか…もう鍋の延長でしかない。
そうするとスーパーで「あれ食べたい!」と思っても、これ使うならやめておこう、っていうことが多いのです。別にその時にとてつもなく悲しくなるとか、そういう風にはならないんですが、考えてみると食べたいものも作れない不自由さがあるなぁって思っちゃう。

だってもう、食べたいって思って食べたものってめっちゃ美味しいじゃないですか。
そして私はもう餃子が食べたくて仕方ないんです。でも皮もないし、中に包む餡の材料も何もないんです。
皮はいいですよ、皮は小麦粉から作れますから。わりと簡単に作れるから!
でも餡だけはどうしようもない…。そもそも肉もないし、野菜も玉ねぎくらいしか存在しない。少なくとも、キャベツくらいはないとどうしようもないですから。
だから今、完成されたカレーとたまご、豆腐、玉ねぎしかない冷蔵庫に絶望しているんです。あぁ、食べたい餃子が。餃子が食べたい!

幸せは、自らの手で掴み取るしかないんですよね。
何も入っていないと言ってもいい冷蔵庫を前に、ただただ絶望に打ちひしがれているだけで、餃子の材料が天から舞い降りてくるわけでもありません。
自ら買いに出かけるか、今ある食材で作ってしまうか。それくらいしかないけれど、それくらいしなければ小さな幸せを手に入れることはできないのでしょう。

どうか、どうか神様。
豆腐と玉ねぎで美味しい餃子餡ができますように…!


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▲焼き具合は完璧。ただ皿に移すのを失敗し、餡からの汁が駄々漏れして餃子に色がつき、そしてその餡が不味かった▲


神様なんかいない。

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