貧乏観察日誌

世の中は貧乏に厳しいが、それでも足掻いて少しでも心でも生活でも何かしら豊かになろうと試行錯誤するブログ。

いつまでもあると思うな歓送迎会

私の勤める会社には、派遣の方が沢山おります。

そして私もその中のひとり。該当業務未経験の私を受け入れて下さったありがたーい会社です。
激務というほどでもなく、周りの方々はとても良い人で、自社によって残業代だのなんだのは保証されている…。
こんないい会社なのだけれど、やっぱりカーストは存在するのだなと。

■歓送迎会の話し

この度新しい方が派遣としてやって参りました。該当業務経験者として、かなり期待値高く入ってこられた方です。
そして、新しい方がくるとなれば開かれる催しは歓迎会です。

早速社内の通信網には「歓迎会やります!」という文字が踊っています。
なかなか皆さんとの時間が合わないので、普通にお酒や食事を楽しむ機会が少ないのです。久々に楽しめそうな予感です。

出会いあれば別れもあり、歓迎会と送別会も実は兼ねられています。
長く働かれていた方が、辞めることになりました。
歓迎会とともに、送別会も。新たな門出を盛大にお祝いしたいところですが、どうにも寂しいのは仕方のないことなのでしょう。
お店は少しだけいいところ。貧乏の私にはタイプ一致効果抜群急所レベルに大ダメージではありますが、こういった時は惜しまないようにしています。

だけれど、ふと思ったんですよね。同じように思う人も、きっと多いのではないかと思います。

私の歓迎会やった?


■自分はいいけど…

未経験の私を歓迎するなど、そんなこと天地がひっくり返ってもない。分かってるんです。
新しい方は期待の新人。まさにドラフト1位指名に匹敵するのでしょう。何もせずとも「歓迎会」の文字が出てくることからも、新しい方に寄せられる期待の大きさがありありと見えるようです。だから、私はいいのです。

でも送別会。数ヶ月前にも辞めた方がおられたのですが、決定から猶予もあったのに、その方の送別会は行われませんでした。
何故だろう。
ある一定のレベルにまで達しないと、そういった催しを開催してくれないのでしょうか。
その方だって会社に対して貢献があったはずなのに。私はその方とほぼ入れ替わりのような形だったので働きぶりを知らないのですが、そんなに嫌われるような方ではなかった。


■そもそも当たり前と考えてはダメなのかもしれない

歓迎会あって当たり前。
送別会あって当たり前。
そんな考え方だからダメなのかも知れませんね。
携帯電話を売ってた時は、人の流動性が限りなく高すぎて、いちいちやってたら財布ごと無くなりそうな勢いだったので敢えてやりません、という理由があったのです(明示的ではなかったけど)。
だから催しがない事に対しても疑問を抱くようなことはなかったのですが、そうか、理由云々ではなく、そもそもレベル不足だったのか…と。

世の中、当たり前のように存在するものに対して感謝の気持ちが足りていないように思います。
そして、歓送迎会もそのひとつ。
レベル2、ホイミしか使えませんなどという僧侶に勇者は歓迎会など開かぬのです。これがルイーダの酒場システム。


■声を大にして言いたい

でもこれだけは言わせてほしい。
会社にとって、人は財産なのであると。
使えない人なんていないのです。その人を使いこなせない人が悪いのです。
すべての人材を歓迎し、すべての人材を送別しましょう?
つまり、


私の歓迎会も兼ねて、お金払わなくてもいい?


…って言ったら笑いながら「時効でしょ」って言われた。時効なんて被害者のためにならないじゃないか!ちくしょー!

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